〜想い〜
物語の共有
【私たちの想い・物語を歩む】
「ゲームばかりしていないで勉強しなさい!」「宿題はやったの?テスト勉強はやったの?」、お家ではそんな声が飛び交っているかもしれません。テストが終わるたび、「なんでこんなに低い点数なの?」「ちゃんと勉強しないから成績が下がるんでしょう!」
その言葉を聞き、多くの子はふくれっ面をしていることでしょう(笑)。では、そのとき、子どもたちはどんなことを考えているのでしょう?「勉強なんてどうでもいい。親の言うことなんて無視さ」でしょうか?たぶん違います。親御さんの言葉を無視しているように見えても、心の中では葛藤があるはずなのです。「言われなくてもわかってるよ。勉強しないといけないのは、なんとなくだけどわかっている。でも・・でも、やってもどうせできないし。面倒くさいし。部活も忙しいし。やらないといけないのはわかってるけど、やる気が出ない…」。
子どもたちの「勉強をやらなければ」という想いと、親御さんの「この子の将来のためになんとかがんばってほしい」という想いの堂々巡りが続いているというのが現状でしょう。
成績をあげたいと懇願する親御さんにお伝えしたいこと、それは、誰もが「ストーリー(物語)」の中にいるということです。お子様の勉強で言えば、お子様が主役のストーリーがあります。長いスパンで見れば、人生それ自体がひとつの物語といえるでしょう。また、受験勉強という括りでみれば、受験勉強に取り組む小学・中学時代がひとつの物語だと言えます。お子様の人生という長い物語を考慮しながらも、特に受験期を中心とした物語を、子ども達と親御さんと共に歩いていきたいと考えています。
【物語はでこぼこ道】
物語を歩んでいく際に、知っておいていただきたい2つのことがあります。
1つ目は、物語が「でこぼこ道」でできているという事実です。
物語の中には必ず起伏があります。山があり谷があるのです。苦しい時があり、楽しい時がある、それが物語です。
もしかしたら、「物語全部が楽しいことばかりだったらいいのに!」と思われるかもしれません。
でも本当にそうでしょうか?
たとえば、映画を考えてみます。「スターウォーズ」という映画をご存じでしょうか。宇宙を舞台に、壮大なスケールで繰り広げられる戦いを描くSF映画です。主人公は、ルーク・スカイウォーカーという若者。敵は見るからに悪そうで強大な力を持ったダースベーダー。では、質問です。あなたは、山あり谷ありでない「スターウォーズ」を見たいと思いますか。想像してみてください。主人公のルークが登場。宇宙に旅立ちますが、道中はすべてスムーズで、修行もアクシデントもない。あまりに楽なものだから、涙も汗も流さない。しばらく宇宙を楽しく旅した後、宿敵ダースベーダーが登場。ルークは剣を一振り。ダースベーダー、瞬時に敗れる。はい、エンディング。どうでしょう?そんな物語をあなたは欲するでしょうか?少なくともあなたが映画館に足を運ぶことはないでしょう。
そう、これでは物語とは言えないのです。何かが足りない…。何が足りないのか?それが「でこぼこ道」です。スターウォーズもそうですが、物語の中で、私たちに意義を感じさせるのは、「でこぼこ道」、つまり「試練の道」なのです。つらい試練があるけれども、それをなんとか乗り越えていく。うまくいかないことだってあるけれど、あきらめず努力し続ける。私たちが見出す価値は、でこぼこ道の中にあるのです。
なぜ、でこぼこ道でなければ、意義を見いだせないのか?
答えはとても簡単なのです。そこに「成長」がないから。
そうなのです。私たちに必要なのは、成長の物語なのです。成長とは、試練や困難に立ち向かい乗り越えていくことで手に入るもの。そうでなければ、私たちは感動もしなければ、喜びもしない。意義なんて見い出せないのです。
子どもたちの勉強も同じです。子どもたちの受験期の物語は、成長の物語であるがゆえにでこぼこの道なのです。塾という仕事に携わり続ける私たちは、すべてのことが一筋縄でいかないことを知ってい
ます。山があり谷がある。目の前にあるのはいつも、でこぼこ道。でも、それでいいのです。
でこぼこ道だとわかっているからこそ、目先のことに一喜一憂しない。もちろん喜ぶときは本気で喜びますし、悲しむときは本当に悲しみます。けれど、成長という視点で子どもたちの物語を見るとき、単に一喜一憂することをよしとはしないのです。
【物語を共有したい】
では、物語を歩む上で知っておいていただきたいことの2つ目に話を進めていきます。
2つ目は、「物語は共有することができる」ということです。受験期の物語では、お子様が主役ということになるでしょう。とはいえ、親御さんがまったく別の世界に住んでいるわけでもありません。親御さんだって、お子様の物語の中の住人なのです。勉強をサポートする私たちも同じ。お子様、親御さん、私たち(塾の講師)皆で物語を共有し、歩いていきたいと思うのです。時には苦しいこともあるでしょう、うまくいかないことだってあるでしょう。楽しいことも嬉しいこともあるはずです。だから、お互いが無関心で、非協力的なんてことはあり得ないですし、必死になれない、真剣になれないということもおかしなことです。起こるすべての出来事を同じ物語の中で共有し呼吸したいのです。物語の共有、その先にあるのは、関わるすべての人の成長です。主役である子どもが成長する、というのは当然のことですが、共有する大人も同じです。大人だって完ぺきではないですし、未熟なのです。だから物語の共有を通じて、周りにいる皆で成長していきたいと願うのです。
【成長のための課題を選択する】
物語を歩いていく上で、大切にしたいことがあります。それは「成長のための課題を選択する」ということです。どういうことでしょうか?
勉強をがんばる過程で、目の前の壁があらわれます。望んでも望まなくても壁はやってきます。壁は自分にとっての課題です。私たちは課題をクリアすることで成長していきます。
ここで、目の前に複数の道が現れます。どの道を進むべきか選択をしなければなりません。
では考えてみてください。ある道は「逃げ出してしまうことができる簡単な道」、またある道は「目先の苦しみを軽減できるが成長のない楽な道」。さらに別の道は「困難ではあるが、この課題をクリアすれば成長が約束されている道」です。あなたはお子様にどの道を選んでほしいと思いますか?私たちが選んでほしいと願うのは、3番目の「困難ではあるけれども、この課題をクリアすれば、成長が約束されている道」です。勉強をがんばり、なおかつ結果を出すという道は、簡単な道ではありません。やってくる壁も簡単に乗り越えられるものではありません。残念ながら、私たちはこれまで、子どもたちが「安易な道の選択」をしてしまう姿を目にしてきました。苦しいからといって、逃げ出してしまったり、誰の成長もない安易な道を選んでしまったりということは、よく起こることなのです。
もしあなたが逃げ出してしまいそうになったときは、物語の「目的」を深く考えてみてください。今歩んでいる受験期の物語の本当の「目的」は何でしょうか?それは点数アップですか?内申点のアップですか?残念ながらそうではありません。点数アップは、「目的」に向かうために掲げている「目標」のひとつに過ぎません。ここで言う「目標」とは、目的に向かう際の「途中経過」に過ぎないのです。では物語の本当の「目的」は何でしょうか?それは「成長」です。物語の目的は、関わるすべての人の「成長」。だからこそ、目の前に課題が現れたとき、「成長」に通ずる課題を選択したいと思うのです。成長のための課題は困難を伴うものでしょう。それでもそこに成長があるなら、私たちはあえて困難な方の課題を選択したいと思うのです。
もちろん、成長のための課題の選択は、主役である子ども達に限った話ではありません。親御さんのする選択も、講師がする選択も、成長のための課題でなくてはなりません。関わる人すべてにとって成長に通ずる課題を選んでいきたいと願っています。
「場」を通じて、お子様、親御さんと一つの物語を共有できればと考えています。苦しい時も嬉しい時も、その大切な時間を共にできれば・・・そう願っているのです。